Diary over Finite Fields

515ひかるが書き溜めたメモとコラムと雑記

古本チェーンで働いていた話

古本屋時代

2年ほど古本屋で働いていたことがある。地元のそこまで大きくないチェーンの古本屋だ。有り体に言えばその地方にだけ存在するブックオフみたいなもので、まあまあ儲かっていた、のだと思う。

僕が働いていたのは、民主党政権が事実上機能しなくなっていて、当時野田首相が解散をすると言った頃。過剰な円高の煽りで輸出産業は大打撃を受けていた。絵に描いたような不況の真っ只中、街はとても静かで、駅前のトラックだらけの幹線道路からトラックが激減していた。

古本屋は不景気でも忙しい。本屋に行けば簡単に買えるものを少しでも安さを求め誰かに売られるのを待つ客。いつまでも立ち読みして帰らない客。家にあるものを売り捌き少しでも足しにしようとする客。

色んな人がいた。少しだけ、その人が買ったものから人生を感じることもあった。仕事でやっているから書けないし、もう比喩じゃなくすべて忘れた。

意外に思われるかもしれないが、古本屋で売れるものは普通の本屋で売れるものと大差ない。普通の本屋で人気のある漫画は古本屋でも売れるし、普通の本屋で人気のない漫画はやはり古本屋でも売れない。当たり前だが、働き始めた当初はそれが意外だった。

売り物もお客さまから提供されるため、買値をこちらが決められるというインセンティブはあるにはある。しかし資本主義の市場原理はここでもうまく機能して、あまりに安い買値だと他の店に売られてしまう。高く値付けるしかない。

不況の中、そうやって細々と稼ぐ人たちの姿を、あくまでもアルバイト店員としてだが、そばで見てきた。

売れるもの、売れないもの

店にいるだけだが、しばらくするといろんなことがわかるようになった。なんとなく今後売れるものがわかってくるのだ。映画化、ドラマ化をしたからといって売れるとは限らないので、実はドラマ化や映画化は大きなヒントにはなるが正解ではない。それよりも、「昨日あったものが今日ない」とか、「昨日なかったものが今日はたくさんある」ということが何よりの情報になる。実は売れるもの、今後人気を博すものはドラマ化や映画化などが正式発表されるずっと前から店の棚では目立ち始めている。

漫画の買い取りにくるペースから「これはきっとそのうち映像化されるな」などと考えて遊んでいた。当たったことは覚えているが、外したことは覚えていないので的中率まではわからない。

例えば、池井戸潤の小説は「半沢直樹」が放送される前から目立っていた。

"力" のあとの残骸

それででも、やはり映像化の力は大きい。アニメ桜Trickの初回放送後、店にあった桜Trickの既刊をすべて買った人が居たのを今でも覚えている。人は誰かに操られているかのように、同じものを買い求める。その姿を仕事をしながらずっと見ていた。

一方で、古本屋には「波」が終わったあとの本が山積みにされる側面もある。みんな同じものを持っていて、これが不思議なことにみんな同じ時期に価値を感じなくなる。映像化による "力" の魔法がとけ、大量の買い取りが一斉にやってくる瞬間がある。それは早いものでは三ヶ月ももたなず、。アニメならアニメの放送中から「切った」人たちによる在庫が生じていく。

本当に息の長いものもある。だがそういうものは逆に爆発的に売れてもいない。

古本屋は、見えない "力" に踊らされた人々を相手に、同じことをひたすら繰り返す。魔法が解けたものは買い叩き、魔法の効力が残っているものは高く買う。それを、ただただひたすらに、永遠に。

そして僕は漫画の売れ行きに、あるいは漫画自体に接し続けるにつれ、漫画を読むことに興味をなくしていった。漫画が自分のための売り物には見えなくなった。

若かっただけだといえばそれまでだ。しかし、僕はこの見えない誰かの "力" が嫌いで、漠然とした嫌悪感を醸成し、今も持ち続けている。

第三者として、残滓

今はもう小売の仕事はしていない。自分は買う側に、消費する側に回った。それでもまだ、本屋に行くたびに、広告を見るたびに、違和感が募る。

どこも同じものを売り出している、どこも同じものが目立っている。特に僕の地元なんかはそれが顕著だ。よくぞここまで全く同じ品揃えだなと逆に感心してしまう。

いつものように様々なものが映像化されていく。アニメになったり、ドラマになったり、映画になったり。そう何も変わっていない。強いて言うなら、僕が知らない作品名が増えた程度のことだ。

いまでも爆発的に売れているものをみると、「あの店とかにきっと将来行き着くんだろうな」と思う。

僕が古本屋の店員をやめてから3年以上経った。それでも見えない "力" は働き続けているし、小売店も人々も踊り、踊らされ続けている。僕もきっと少しは踊っている。

できることなら、人々を踊らせる側には回りたくないなぁと、金も稼げないのに偉そうなことを思う。