Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

自分に向き合うってなに?

このところ、自分について考えるとはなんなんだろうかと思っている。

なんでそんなことを考えたのかというと、『人を選ぶ技術』と『女性部下や後輩を持つ人のための1on1の教科書』を読んで、どっちも自分を知ることが大事であるとさらっと書いてある。

前者に至っては、自分を深く知ることを通じて涙を流した人までいると書いてもあるにも関わらず、具体的にどのように自分を知るのが良いのかということには特に何も書いていない。

なんで書いていないのかはわからない。著者に聞いたら教えてくれるかもしれないなとか思ったけど、別に聞いてはいない。

ということで想像しかしていないが、小島に思いつく程度の考えとしてはまず特に一般論はないのかもしれない。もしくは、それだけで一冊本を書けるような重厚長大なテーマなのかもしれない。さらに言うとその両方かもしれない。

ま、いずれにせよ簡単なことではないことだけはわかっている。


そんなことを考えながら本屋を歩いていた。僕はだいたい休日の5%~10%くらいは本屋を散策することに費やすので、だいたい考え事をしながら本屋にいる。

そしてその考え事に引っ張られて、本を衝動買いしたりする。この行為自体は中学生のときからずっとやっている。

さて、今回見つけたのは、『欲望の見つけ方』である。

手に取った時に「これはタイトル詐欺だな」と直感したが、実際その通りだった。欲望の見つけ方というのは確かにテーマのひとつではあるが、本書に通底するテーマでは全くない。

本書を一言で説明すると、ルネ・ジラールのミメーシス理論の入門書である。

そしてこの記事ではそれ以上説明する気はない(もうちょっと説明したほうがいいことはわかっているんだけど、これを書いている僕は眠いのだ)。もう少し知りたい人はオフトピックでも取り上げられているので聞いてみてもらえれば。

なぜオフトピックで取り上げているのかと言うと、ピーター・ティールがこのミメーシス理論を使っていたからである。ピーター・ティールはルネ・ジラールから直接指導を受けた人のひとりらしい。本書もまた、ピーター・ティールと面識がある元起業家が書いている。

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さて。

この本を読んで思いのほかあっさりと自分に向き合う、ということがどういうことなのかということにそこで少し考えが進んだ。自分を知ると言うのは、本書の表現を借りれば「濃い欲望」とその周辺を知ることではないかと思う。

とはいえ、やはりこの本にも「濃い欲望」にどのように辿り着くのかは「人生で満足したときのことを語り合う」という粒度でしか書いていない。当初の想定通り、やはりそもそも一般的な「自分への向き合い方」は(少なくともまだ)存在しないのではないか。

ところで、先ほどタイトル詐欺と言ったが、このブログはひたすらタイトル詐欺をしまくっているし、なんならあなたがいま読んでいるこの記事も「欲望」という文字はひとことも出てこないにも関わらず『欲望の見つけ方』という本が主題である。出版社のタイトル詐欺を責める権利はきっと僕にはないだろう。


これを読んでいてローマ人の物語を今週末は一冊進めることができなかった。いま第4代皇帝のクラウディウスが仕事をしている。

僕は2代皇帝のティベリウスが好きだなと思った。誰にも評価されないってたぶんわかっていただろうに、本当にやらなきゃいけないことを最後までやり抜くのは立派だったと思う。