Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

もうなにも書かなくていいんじゃないかなぁ

なんかこの頃、というか Twitter アカウントを削除してからもうなにも書かなくていいんじゃないかという気がしている。

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思っていることは色々あるんだけど、「まぁ、今日は書かなくていいか」を繰り返していたら今週はほとんどなにも書かなかった。

別に Twitter アカウント削除したからといって特になにも変わらないんじゃないかと思っていて、実際生活としては特になにも変わっていない。むしろ自分の衝動的な気持ちにも、あるいは他の誰かの衝動的な気持ちにも触れることがなくなって、改めて落ち着いた生活を送れるようになったなと思う。

だからきっといいことなんだろう。たぶん。


最近仕事を確実に進めたい、という気持ちもあって社内のツールなどで仕事に関して書くことは多い。だけど、自分が仕事関係なく考えたこととか、なにか買ったとか、Spotify の独占が腹立つとか、書こうと思えばいくらでも書けるのに、書かなくていいかと思って書いていない。

自分の考えが簡単にまとまるようなことがこのところ少ない。というか、考えているテーマが意識的か無意識かわからないけど難しい。じっくりと考えないと人に考えを表明できないことが多いし、そもそも答えももっともらしい結論も出ないようなことを考えている。

なんでそんなことを考えているのかは、よくわからない。時代と逆行したいのかもしれない。相変わらず。


僕自身はなにもしないよりはしたほうがいいと思っている。何かを考える、思いつく、夢想するということは割と多くの人がやっている。だけど、実際に手を動かす、解決のために何かを作る、アイデアを形にするということになると一気にやる人が減る。

こんなサービスあればいいな、と思っても実際に起業する人は少ないし、こんなソフトウェアやツールがあればいいなと思っても、実際にそれを曲がりなりにも作る人は少ない。手を動かす、完成させる、やりきるというところまで辿り着ける人はそれだけで尊敬に値すると思う。

だから基本的に、なにか行動を起こした人は称賛されるべきだと思っている。ツールを作った、なにかのドラフトを書いた。それが拙いものだったり、それが力技なものだったりしたとしても、行動を起こしたというその時点で圧倒的に他の人の"前"に立っているのだと思う。

この理屈で言えば書かないよりは書いたほうがいい。実際に僕はそうしてきた。ツイートもここにあるブログ記事も、いろんなところにある記事たちもその理屈のもとに存在している。

だけど珍しく、もうしばらくなにも書かなくてもいいんじゃないかという気がしてる。このところ、書くことが自分のためになっている気がしない。

というか、きっと終わったら書くけど、いまの僕は結構仕事に生活のリソースを持ってかれている。さらに、仕事以外も完全に平穏というわけではない。

変に行動を起こし続けることに囚われすぎないで、いまの自分が取り組みたいことをやっていればいいような気もしている。そしてたぶん、「自分の気持ちを発信すること」が自分の取り組みたいことリストの圏外になりつつあるんだと思う。そんなの何年ぶりなんだろう。

ま、なるようになるし、今までもブログの更新で無理したことなんてないんだから無理しないように生きていけばいいのか。そんなお盆明け、残暑の始まり。