突然魂が抜けてしまったかのように、ただ何をするでもなく、目的があるわけでもなく漫然とゲームばかりしていたのだけれど。
そろそろ仕事とかゲーム以外にも何かするか、という気持ちになってこの記事を書いている。
ファイアーエムブレム風花雪月
またかよ、と自分で思うが風花雪月をやっている。何度も同じ話をするくらいには面白いのである。
当たり前のことなんだけど、人生は意思決定の連続だ。些細なことではコンビニで買い物をしたときレジ袋をもらうかどうかとか、たいへんなことだとどこの大学に出願するか(入学できるか自分の意思だけではわからない)、どこの会社に志望するかみたいな今後最低数年を決めるような人生の決定まで迫られる。
ファイアーエムブレムというゲームは、意思決定の繰り返しでできている。戦略シミュレーションゲームとして、戦況を見ながらキャラクターを動かしていくひとりひとりをどう動かすか、ここに配置するとどんな敵が攻めてくるか、どんなリスクがあるのかなどなどを考えながら、彼がこの敵を引きつける、ここは一気に倒す、などの意思決定をしてゲームをすすめていく。
風花雪月では戦闘に限らず、普段の生活でも日々意思決定を迫られる。さらには、プレイヤーに対して提示される序盤の「何気ない」意思決定がフォドラという部隊の趨勢を決める重要な選択だったりする。性別をどちらにするか、どの学級を受け持つことにするか。など。
1周目は心の赴くままに決めた。それはそれで、満足がいく結末だった。
2周目は1年以上経っているというのもあって、少し打算的にやっている。しかし、同じようなストーリーであったはずなのに、最序盤の意思決定が違うだけで、今までとは違ったものが見えてくる。
そして、何かを救えば、何かが堕ちる。どうあがいても全てを救うことができない。そんな当たり前の現実を見せつけられる。1周しただけでは味わえない気持ちを今更味わっている。
立場が違えば、見えている景色も全く違うものだ。きっと普段の生活でも同じことが起きているんだろうな。
八月、某、月明かり
人生、二十七で死ねるならロックンロールは僕を救った。
僕はいま、27歳だ。
なにげなく聞いていて、別に歌詞なんて読まないでいたんだけど、このアルバムの中では唯一、どうにも胸が締め付けられるなと思った。
とても、悲しい歌だと思った。
御多分にもれず、僕も死にたかった。昔の話だし、恥ずかしい話だ。死にたかった頃の名残で、僕の左の手首にはカッターナイフで切った跡がある。今はとても恥ずかしいものだと思っている*1。
でも結局はこうして生きている。思い描いた姿とは全く違うけど、とりあえず生きている。
若くして死ねば早逝の天才になれるとか、英雄は英雄のまま死にたいだとか、小学生とか中学生だとかのころにそんな話を友達とした気がする。だけど、思えばあの時、僕は「何があろうと生きようと思う」と言っていた。その発言は自分の強い意志だとか哲学だとかの反映ではなくて、なんかの小説*2にでも影響されたんだと思う。
だけど今もまた、僕は同じことを思っている。どうせ自分の人生は教科書には絶対に載らないだろう。でも教科書に載る代わりに27で死ぬくらいなら、生きたほうがいいと思っている。
でもそんな風に、ある種楽観できるのは、何かに執着することを忘れてしまったからかもしれない。
- アーティスト:ヨルシカ
- 発売日: 2019/04/10
- メディア: CD