Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

飲み忘れた缶ビール

なんとなくやる気になったので、 mixed content の対応をしていた。

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そこで古いブログを順繰りにみていた。そこで思ったのだけど、なんとなく昔のほうが、具体的には 2017 年までのほうがより日記らしく、より率直に書かれているように思う。とはいえ、言えないことや言いたくないことは書いてないし、あまり変わっていないとも思う。

ただ以前よりずっと書くハードルはあがっているし、それはかつて文章にしたこともある。

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所詮ここは僕の砂場であって、僕以外の誰かが介入する余地はない*1。それでもやっぱり周りというものは気になるものだ。いくら以前のほうがしっかり書けていたからと言って、じゃあ今日から今までのような日記を書こうか、とも思えない。

結局、長く生きていると色んなことが当たり前になって、したためたいことも減ってくるということなんだろうか。以前はなんのクラウドサービスを使っているかとか書いていた。今じゃ学生時代よりもずっといろんなサービスを使っているが、それについてしっかりと書いたことなんてない。そんなことで書けるくらい暇だったということか。

今だったらたとえば(あまり興味ないけど)芸能人の不倫についてとやかく書こうかなとか、思うんだけど結局面倒でやめる。個人的には「一度不倫したやつは何をやってもダメ」みたいな発言がそれこそ一度不良になったやつが、一度殺人を犯した人は、みたいなノリで平然と主張されるのは恐ろしいと思うんだけど、わりと見かける。

あと最近チョット高い座椅子買ったからそれの自慢とかもできそう。しないけど。

今年をどう生きるか

これから、今年を、どうしようかなと考えている。

2018年から19年にかけても、なんだかんだ色々と悩んでいたわけだけど、いまも同じくらい悩んでいる。ちょっと悩み方が違うけれど。自分がどうなりたいか、どうありたいかということを真面目くさって考えるんじゃなくて、サイコロ転がして決めてしまおうかなみたいな気分にもなっている。

未来のことなんてあんまりわからないしなぁ。

最近、に限らないけど自分でも自分がなにしたいとか特にないし。お金は欲しいし、健康で文化的な最低限度の生活はしたいし。でもそれくらいだよなぁ。すっかり熱が冷めてしまった。

良くも悪くも、利益や採算度外視で突っ走る、みたいな行動が取れなくなってしまった。プロとしては正しいのかもしれないけれど、人生なんて不合理と理不尽を面白がるためにあるんだから、そんな合理的に生きていてどうするんだよって思ったりもするんだよな。

寝て起きて、僕が何をするのかはわからないけれど、きっと見た目はいつもどおり過ごすと思う。だけど、やっぱ内心、ここいらでブレーキの壊れたトロッコに乗る、みたいな選択肢が降ってきてくれないかなぁって、思うんだよ。

明日もし晴れたら

明日もし晴れたら

  • アーティスト:CIVILIAN
  • 出版社/メーカー: Sony Music Labels Inc.
  • 発売日: 2017/11/15
  • メディア: MP3 ダウンロード

*1:そう設計している。