Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

生きる苦しみの代弁者 ―― CIVILIAN

最近 CIVILIAN というバンドにハマっている。

civi-l-ian.com

初めて聞いたのは昨年の秋ごろで、ストリーミングでリコメンドされた曲をとにかく聴いていたら耳についたのが「セントエルモ」という曲だった。そして先月、赤坂マイナビ BLITZ でのライブを経てすっかり(うっかり)虜になってしまい、あいみょんと CIVILIAN を Spotify で行ったり来たりしている。

正直に言ってわたしがどんな言葉を尽くしてこのバンドについて書くより、以下のリンクの文章を読んだほうがいいとわたしは思っている。

ongakubun.com

だけど、せっかくだし僕も何か書いてみようと思う。僕もまた、CIVILIAN というバンドを知ってもらいたいと思っているし、一度でいいから彼らの曲を聴いてほしいと思っている。

自分の好きなもの宣伝する行為は、ただ候補者の名前を繰り返して周る選挙カーと同じように、不快をもたらし、冷ややかな視線を向けられる可能性のある行為であることも僕は知っている。でも好きなものを好きという権利を、たまには行使したい。

偽りの幸福

高校生のときに、音楽に興味をなくした。

少なくとも、新しい曲を聴きたいと思える歌手もバンドも誰も居なかった。周りは AKB 一色だったらしいが、正直なところよく覚えていない。前田敦子がセンターをやっていたころの話だが、僕は前田敦子と大島優子と、なんかもうひとりくらい有名な人居た気がするけど、顔と名前が一致しないくらい興味がなかった。ていうか、今名前が思い出せないくらいだからそういうことなんだろう。

アイドルは幸せしか歌わない。なぜならば彼/彼女たちは偶像であり、崇拝の対象であり、理想像のひとつだからだ。彼/彼女らの仕事は信者に対して自らは幸せだと歌い上げることだ。

嘘ばっかり。

会社員をやっている今こそことさら思うが、人生のほとんど大部分なんて苦しみでできている。自分の苦しみにも、他人の苦しみにも見てみぬふりをして、誰かの偽りの幸せに一瞬の希望を見出して、日常をやり過ごしている。たまに嬉しいこと楽しいことがあって、幸福を感じるけれど、一日でも日常を過ごせば使い果たす。

恋は楽しいものとされ、別れはきれいなものとされ、努力は報われるものとされ、孤独は長続きしないとされ、苦しみはいつかは解消されるとされ、人生は素晴らしいものとされる。何から何までうまくいっていなかった僕にとって、当時の音楽は気休めにも慰めにも毒にも薬にもならなかった。だから興味を失った。

不幸な日常の代弁者

僕は不幸だったし、きっとこれからもずっと不幸だ。毎日何かに苦しんで、毎日何かをよくしようともがいている。

僕にとって CIVILIAN はこの毎日を歌っているように聴こえるんだ。何かをなした幸せの一瞬でも、何かが終わった悲しみのどん底でもなく、日々の苦しみを、日々の不幸を、そして時々の幸福を歌っているように思える。

誰かへの過剰なアピールでもなければ、多くの人に一瞬の希望――ただの幻覚だとしても――を見せるような音楽ではない。たしかにそうだ。彼らが歌うのは飾りのない現実で、しかも暗く鬱屈している。

でもそれは、僕たちが生きている等身大の人生。彼らの音楽は、僕らの毎日に寄り添っていると思うんだ。ただもがいて何もなせなかった一日を、ただ苦しみの中で耐えていた一日を、彼らは歌ってくれる。

言えなかったこと、後悔していること、彼らが代わりに言ってくれる。

音楽を体感すること

これは決して彼らの音楽に限った話ではないのだけれど、もし彼らの音楽を 1 曲でも聴いて興味をもってもらえたら、ぜひライブに行ってみてほしい。

僕は彼らの代表曲のひとつである「メシア」という曲をライブに行く前に聴いたが、正直なところそのときに何を思ったのかはよく覚えていない。

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でも同じ曲を渋谷のライブハウスで聴いたとき、僕は完全に魅了されたんだ。当時、何を始める一歩も踏み出せないで、ただずっとその場で足踏みをしていた僕にとってその苦しみの代弁は何よりも救いだった。

この曲だけじゃない。まだ eve というアルバムを一回通して聴いて、「何度でも」と「セントエルモ」という 2 曲以外はタイトルを知らない、そんな状態でライブに行っても彼らの音楽は僕の心に突き刺さったんだ。

音楽はパッケージを所有する時代から、いつの間にかストリーミングで聴き放題で聴くのが日本でもほとんど当たり前になってきている1。そんな時代であっても、同じ時、同じ場所で同じ音楽を共有する体験に特別な価値があることには何も変わりはない。

最後に

音楽は CD に組み込まれているデータでも、サーバーにアップロードされているデータでもない。人が聴いて、初めて音楽が存在し始める。聴き始めたその日その瞬間だけ、たった数分の命として存在する。そのたった数分の命が、時にあなたの人生の一生を祝ったり、解放したり、はたまた呪ったりする2

あらゆるプロのアーティストは、数分のチャンスで戦っている。あなたの人生の数分を貰い、そこで勝てなかったら、あなたの心に響かなかったら、それはどうしようもない。

でも僕は彼らにその数分がそもそも得られないまま終わってほしくないんだ。だから僕はこの文章を書いている。僕ひとりが何を書いたところで全然読まれないだろうし、仮に読んでくれても聴いてくれる人は全然いないだろう。知っている。

だけど僕は、彼らの音楽がただの無名なバンドの誰も知らない曲たちで終わっていいはずがないと思っているんだ。サーバーにアップロードこそされてはいるけれども、誰の心も動かさないまま、いつの間にか消えていく、そんな器じゃないと思っているんだ。

そしてもし僕の言葉で CIVILIAN というバンドを知って、CIVILIAN の音楽に興味を持ってくれたら、その人の人生が彼らの音楽で少しでも照らされたら、それだけで僕の世界も救われるんだ。

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  1. このように僕は感じているけれども、ジャニーズとか特定の事務所の有名ミュージシャンとかだとそうでもないという現実もある。

  2. ほとんどの場合は毒にも薬にもならなくて終わるが。