Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

帰るべき場所

帰る

「帰る」と言う。「帰省」とか、「帰宅」とか様々な帰るべき場所、帰るという行為がある。

僕はいま一人暮らしをしていて、アパートの一室を借りて暮らしている。そこに戻ることが「帰宅」である。

大学時代は実家で暮らしていて、「帰宅」は実家に帰ることだった。今は実家に帰ることは「帰省」だ。帰る場所が同じでも状況や頻度、自分が住んでいる場所などよって、言葉は変わる。人には自分が住んでいる場所と、住んでいなくても定期的に帰るべき場所がある。

さも、帰るべき場所があって当然かのように。

東京

東京へ行って来た。理由は仕事だ。仕事のことはここには書かない。

東京という街に「帰った」ことはない。 僕にとって今までずっと東京は「行く」場所だった。友達は居るけど、家族も親戚も関東地方にいない。だから東京へ「帰る」ことは今までありえなかった。

僕の帰るべき場所は、実家や、京都だ。それは今のうちはそうだと思っていた。

変わらない場所

一方で、僕は変わらない場所を嫌っている。僕は変わり続けたい、僕はこれまでも成長し続けたい*1、視野を広げたい。

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高校を隣の市にしたのも、遠い大学を受けようとしたのも*2、就職するときに地元にこだわらなかったのも全部同じ理由だ。

僕が変わるために、僕が僕を変えるために、僕は外へ行く。それが僕が今まで「進路」を選んで来たひとつの基準だった。

変わり続ける場所

昨日まで東京にいた。仕事もし、後輩と食事をとったりコーヒーを飲んだりした。

僕が住んでいるわけではないが、そこに住んでいる人たち、そこで生きている人たちと直接話した。

ふと、気づいた。この街は変わり続ける。勝手に。

お金がある、人がたくさん居る。再開発の恩恵に預かる人、生存競争の中で淘汰されてしまう人、進学する人、様々な理由で東京へ来る人、東京を出る人がいる。

勝手に人が出入りする、勝手に街が変わる。自分を変えようとしなくても。

住んだことはないから僕の買いかぶりかもしれない。

住みたい場所、住むべき場所、帰りたい場所

それを思って京都に帰って来た。そう帰って来たはずだ。でも全く落ち着かない。

少し前まで「日常」だったはずのコンビニ、少し前まで「当たり前」だったはずのスーパー、少し前まで行きつけだったバー。

どこにいても、帰って来た気がしない。

この三日間で東京に惹かれてしまったのかもしれない。

ここにいても変わらない、そんな閉塞感にまた打ちひしがれ始めている。勝手にひとつ、帰りたい場所を失った。

また、場所をうつすかもしれない。「住みたい場所」を帰りたい場所にするため。帰るべき場所にするため。

僕を変え続けるため。

*1:これは職業的にも数学や映画といった趣味に関しても。

*2:様々な事情で結局実家から通える大学に通うことにした。今は後悔していないが、もしやり直せるならもう一度同じ大学は受けないだろう。