Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

女性は働きたかったのだろうか

この手の話をするときには毎回注意しているが、まず私は精神的にも身体的にも男性である。主語がでかい文章を書くが十分に自覚しておりなるべく配慮するのでご容赦いただきたい。私は往々にして読者の「あなた」を想定していないので安心していただきたい。

素朴に疑問に感じたのは、女性は働きたいのだろうか、そもそも人間は働きたいのだろうか、ということである。いまあらゆる形で女性を役員登用したり、女性が少ない分野については女性限定採用などを増やすことにより国連か何かのご機嫌を伺っている日本である。「女性の社会進出」などともいう。

先日、「社会人という言葉を使わないようにしている」という記事を書いた。社会(人)という言葉が大前提として「働いていること(人)」を指しているので、「社会進出」を促すために女性が働くことにシステムから価値をもたせ、価値観を根付かせようとしているのだろう。そのやり方の是非はともかく、目的と手段は合致しているように思う。

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しかし、そもそも男性のように働くことが女性の目指すべきものだったのだろうか。果たして、「社会進出」というのは、本当に「女性による労働を促すこと」しか意図していないのだろうか。

以前にも述べたが、労働に従事している人間は立派であるという価値観がある。私はこの価値観に疑問を感じている。

まず私の実感を書くと、大学生と会社員では会社員のほうが圧倒的に楽である。自分の意思などに関わらず、立場や金銭が自分の役割を勝手に決め、その役割に従事していれば良い。一方で、大学(院)生は何をするも何をしないも自分で決定しなければならない。これはキレイな言葉で言えば「自由である」ということだ。しかし多くの人は「自由であり続ける」ことの難しさや辛さを知らない。自由であることには責任が伴い、しかも会社員であれば勝手に規定され全体の一部しか行わなくても良い作業を、企画から自分への作業内容の割り振り、スケジュール管理などを場合によっては全てひとりで行わなくてはならない。学部の4年間という期間はよくできていて、ちょうど自由であることに疲れ始めた頃に終わる。だから大学生の頃は楽しかったと人々は錯覚できるのだと僕は思っている。

大学生はアルバイトなどを除けば労働に従事していないが、ライフサイクルを自分で決定しなければならない。自由の名のもとに定期的な休日さえ得られないこともある。一方で会社員は何もかも勝手に決まり、*1ライフサイクルを会社が用意し、土日は休まなければならない。土日に働く職場もあろうが、年がら年中出なければならないわけでもないだろう(と信じている)。

労働に従事する人間は立派だという価値観はおそらくお金に価値があるトコロからも来ているのだろう。

あるいは、誰にも頼らずに自分で生計を立てている(経済的に独立している)人間は立派だと言う人が多い。しかしそもそも経済的に独立するためにはまず貨幣経済から脱却しなければならない。日本の紙幣や硬貨に価値を持たせているのはおそらくあなたではない。この時点で既に誰かに頼っている。冗談を言っているわけではない。この程度のことも理解していないのに、お金の価値を理解しているとあなたは言えるのだろうか。

「お金で買えない価値がある*2」などという。しかしお金よりも大切なものが自分のなかに存在しない人も一定数いそうだ。デフレの歪みだろうか。

話が散逸してきたが、結局のところ「お金」は多くの人が価値を感じる*3ものであり、そのお金を手に入れる手段が労働である。本題に戻ると、いまの「女性の社会進出」というのはつまるところ「女性がいかにお金を生むか」しか見ていない。

果たして、本当にそれでいいのだろうか。

今の社会は「女性が働けなかった社会」よりは健全に感じる。しかし十分に健全とは私には思えない。女性に限ったことではないが、労働に従事することでしか「社会人」とさえ認められない社会が果たして健全だろうか。

進むべきは、「女性が働ける社会」ではなく、「自分に合った生き方を選べる社会」だろう。言うまでもなく男女関係なく。

*1:役員などの立場を除けば、の話であるが。

*2:買えるものはマスターカードで。ちなみに私はマスターカードを持っていない。

*3:だからこそ貨幣経済が成立するので当たり前なのだが