Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

「龍が如く6 命の詩。」をクリアした

いつしか、ゲーム専用機でゲームをすることがマイナーになった。「ゲーム」といえばスマートフォンでやるゲームのことを指す人も今や少なくないんだろう*1。僕が子どものときゲーム(せいぜいテレビゲーム)と呼ばれていたもの、それはいつの間にか「コンシューマーゲーム」と呼ばれるようになり、その名前がついたことが大手ゲーム会社の凋落を体現しているように思う。

さて、僕はスマートフォンでゲームをしたいと思ったことも、実際にしたこともない。なぜかはよくわからない。大学1年生くらいの頃は明確な持ち前の反骨心(すなわち天邪鬼な性格)からやっていなかった。でも最近はそうじゃない気がする。

所詮ゲームだと、ゲームなんて暇つぶしだからこの程度でいいのだと言う人が居る。でも僕はそうは思わない。全ての娯楽がそうだが……高みを求めない理由なんて存在しないはずだ。僕は面白い映画が観たい、面白い小説が読みたい、面白い漫画が読みたい、そして面白いゲームがしたい。そして面白いものを作る人たちから僕はそれを買う。時にハズレを引き、時に大作に涙し、時に自分だけの名作に心を震わせる。どんなメディアであっても、僕が求めているものは変わらない。

スマートフォンという媒体やビジネスモデルが気に食わないからやらないということは、ひょっとしたら僕はいくつかの名作に出会う機会を逃しているのかもしれない。ただ、僕は「面白いゲームをしたい」と思っていない人たちがやるゲームをしたいとは思わない。きっと、ただそれだけ。

そしてその面白いゲームを作る気概と、その気概を実行に移せるビッグタイトル「龍が如く6 命の詩。」を僕が買うのは当然の成り行きだったのだ。

PlayStation 4 ジェット・ブラック 500GB(CUH-2000AB01)

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龍が如く6 命の詩。 - PS4

龍が如く6 命の詩。 - PS4

桐生一馬伝説最終章

龍が如く5*2は実はあまり好きではない。そのラストも去ることながら、とっちらかった印象の最終局面、最後の敵の小者感など、あまりにもお粗末だと思う。

主人公4人はひとりひとりに感情移入させることを難しくし、そして話を広げすぎて収まりがつかなくなったという感触を受けた。龍が如く0のように明確なコンセプト*3があるわけでもなかったのもとっちらかった印象をより強めさせた。

そしてそんな5のラストから話をつなげて6の世界へと向かうと公表されていた。正直に言うと不安ではあった。だが、そんな思いは杞憂だった。桐生一馬の伝説は今回で終わる。終わるために相応しい舞台がきちんと用意されていた。

感想

きっとこの結末は龍が如く5の頃から、本質的には決まっていたのだと思う。

どうしてなんだ?どうして俺が来るとこうなるんだ?どうして誰かが、犠牲にならなきゃならないんだ……? なんでだ?なんでなんだ……! (龍が如く5)

結末を見た時、このセリフを思い出した。桐生一馬は、"堂島の龍"としてあるいは"東城会の4代目"として名を馳せすぎたのだ。そのために彼自身も、彼と関係する人たちも何度も危険な目に遭うことになる。それが龍が如くシリーズの物語の根幹にある。それでも彼は日のあたる場所で、平和に暮らすことを望み、僕らユーザーはそのために戦ってきた。

どこかで聞いた話によれば、この結末はかなりの賛否両論なのだというが、とても合点がいく。こんな結末を望むユーザーが居るだろうか。だが、彼であればきっとこうするし、こうするしかないのだろう。あまりにも桐生一馬らしい最後だ。

10年以上もの間愛され続けてきた桐生一馬の物語を終えるのにはとても苦労したことだろう。おそらくどんな結末にしても賛否両論になったに違いない。僕はどんな形であれ、それがどんなに間違いに見えるものであれ、自分の意思を貫く男の姿をこのゲームで見た。それで十分だ。

多くは語るまい。僕がゲームを通して疑似体験したこの物語は、僕にとって忘れられないものとなった。

*1:実際のところは知らない。

*2:実を言うと4もだが……

*3:金・女・暴力である。ここまで潔くPTAから反感を買いそうなコンセプトを打ち出したのは賞賛に値する。