人が生きるとはどういうことか、 ということは常に多くの人が考え、 表現していることだと思う。 僕が最近(今更ながら)観たものでは、 黒澤明監督作品、 「生きる」 はまさしく人が生きる、 死ぬというのはどういうことかを真っ正面から表現していた。 時代が時代、 監督が監督なだけに政治的イデオロギーを感じないわけではないが、 僕は主人公(ワタナベさん)を見て感動せずには居られなかった。
ずっと昔から考えられている、 人が生きるということ。 今回僕に新たな視点をもたらしてくれた作品としてぜひ紹介したい。 「明日、 君がいない」 である。
作品概要
本作はキャストがどうこうとかいう意味での話題作ではないので、 キャストはwikipediaでも参照していただくことにする。 一応言っておくと、 2006年のカンヌ国際映画祭で高い評価を受けたらしいが、 そんなことはしらなくてもこの作品を楽しむのに何の支障もない。
あるオーストラリアの高校である日、 誰かが自殺を計った。 果たして誰が、 どうして死んだのだろう?
ひとことであらすじを書くとこういうことになるが、 ミステリのように事件が解決するわけではない。 日本のくだらない2時間ドラマのようにわりきれるような話ではないわけだが、 そもそもそんな作品なら僕がここにわざわざ記事を書いたりしないわけで……まぁいいや。 先入観を持たせたくないので最小限の情報だけ書残した。
緻密な構成と演出
まず、 かなり自然なBGM--主にクラシックであるが-- がかなり印象的だった。 緊迫も悲しみも、 キャストの演技ももちろんよいのだが、 音楽が良いスパイスになっている。音楽がうまく使える作品は ほぼ例外なく面白い(僕の数少ない映画鑑賞経験から言って、 だけど) これもご多分にもれず。
EDテーマは、 この映画を見終えてもまだ意味が分からない人のために直接的にあんな歌詞の歌(作ったのか選んだのかしらないけど)にしたのかなと思う。 もしそうなのだとしたら、 そんな気遣いはおせっかいだなと少し思う。 まぁその辺はそれぞれの捉え方次第だけれど。
とにかく素晴らしいのが構成である。基本的に映像作品というのは時間軸にそって動いてくれないと話が分からないのだが、 この映画は時間軸が前後するシーンが多々ある。 (もちろん、 視点が違う) しかしそれでも観客は全く混乱しない、 それはカメラワークなどの演出で上手に場面を区切っているからだ。 これはもう見事としか言いようがない。 ここまで自由に時間軸をずらせる媒体は小説くらいのものだと 思っていた。 本当にすごい。小説の例で申し訳ないが、 『第三の時効』(横山秀夫, 文春文庫) の三種類の事件が同時並行で進んで行くストーリーを思いだすほどの緻密さだ。
先にも触れたが、 カメラワークが素晴らしい。 大胆に観客を映像にくらいつける。 大胆なのに不愉快ではないのが不思議だ。そして、 敢えて顔を見せる / 見せない で実はストーリーの根幹にもつながっている。 注目してみて欲しい。
余談だが、 僕はDVDで家で1人でみていたのだけれど、 珍しく感情移入しすぎてあるシーンである人物に本気で声に出して怒ってしまった。 それくらい魅せる演出で話に引き込まれる。 時間を忘れた100分間だった。
死に直面する人々
ネタバレを思いっきりするので、 上の段落で見ようかな、 と思った人は読まない方が良いよ !
自殺するのにはそれなりに理由があるだろうと、 それはそれなりに重い悩みであったりするのではないかとなんとなく僕らは無意識に考える。 しかし、 この映画はそうじゃない。
この作品は僕らにつきつける、 「死んだ理由がわからない怖さ」を。 ただただ、 それだけである。
この話は最後の10分間のみが本編だ。 それぞれがそれぞれに悩みを抱えた生徒6人、 その誰とも関係し、 その誰ともいがみ合っていない誰か -- Kelly -- が自殺するシーン。 そのシーンまでは全て前座である。
描かれていないのだから当然死ぬ理由なんて分からない。 別の人がもしも死んだなら --肉親に孕まされた少女, 父親のプレッシャーに押しつぶされる優等生, ゲイであることをカミングアウトし学校でも家でも見捨てられた少年, (その少年とは別に)ゲイであることをひたすら隠すモテるスポーツマン, ゲイと知らずに彼を愛し(すぎ)ている少女, 身体の欠陥を抱えいじめられる少年 -- 物語の中で克明に描かれるこの6人の誰かが自殺したのだとしたら、 (物語上)不思議ではない。(そうなったら、 この映画はくだらない日本の二時間ドラマになるわけだが)
前座、 散々みなが悩み苦しむ姿を見せられる。 完璧に理解させられる。 しかし結末はその前座で理解したものとは一切関係のない、 今日一番問題がなかった "誰か" が死ぬ。
でも実際、 人が死ぬ理由なんて分かるだろうか? 少しだけ変えてみれば、 人を殺す理由なんて分かるだろうか? 理解できるだろうか? あるいは理解して誰のなんのためになるのだろうか?
僕らは "物語"の中で、 人が生きることも死ぬこともむさぼってストーリーとして消化してしまう。 でも本当の死は、 現実で経験した死は、 消化しきれないもののほうが多いだろう。 この映画は本当の死を、 人がひとり死ぬことを物語として語るのでなく誠実に(フィクションではあるけれど)ドキュメンタリーとして描ききったのである。
長々と書いてしまったが、 恥ずかしいことだ。 本来ならここまで良いものに言葉などいらない。 そっと胸にしまっておくべきである。 しかし、 あまりにも感動したので書き残して置きたくなった次第。
この感動は忘れたくないものだ。