Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

最近変わったことと、変わってないこと

最近フルリモート(しかもほぼ在宅)で生活が変わり、その中でいろいろやっていて、変化した部分もあり、変化しない部分もある。今日はそんな話。

変わったこと

自炊し始めた

最初は気まぐれで自炊をしてみたんだけど、始めたらみるみるうちにキッチンが綺麗になり、冷蔵庫の中身が整理され1度でもやるのはイイコトだなぁと。1回でやめようと思ったが、当然のように食材が余って2回目、3回目と続けているうちにやめられなくなった。

そうむずかしい料理はしていないし盛り付けにこだわってもいない。ただ3日くらい外食していないんじゃないかな。今日(4月9日)はちょうど米を切らしたので昼か夜のどちらかは外食をしてもいいかなと思っている。でも鶏肉買って米を炊けば親子丼作れるし...みたいなことも思っている。

ただお金の面について言えば、自炊にともなって洗い物が増えたり火をおこす回数が増えたりして間違いなく光熱費は高くなっているし、そんなに節約を意識してもいないのでトントンか自炊のほうが高いかくらいだと思う。

洗濯

洗濯が高頻度でできるようになったので、洗濯をしている。母親が元紳士服売り場の店員でなんか紳士服に詳しいのだけど、洗濯のコツとかにも詳しいのでそういうのをどうしてもっと教わらなかったんだろうかと思うなどしている。

まぁLINEで聞いてもいいんだけど。

高頻度で洗濯ができると、特にバスタオルを干す場所に困らないのがいい。雨が降っても洗濯機を回さないといけないなんてこともない。ストレスフリーだ。

ジョギング

運動不足がすぎるなと思い、ジョギングを再開した。夏頃もやってたんだけど、なんだかんだ冬になって寒いだのなんだの理由をつけてしばらくやらなくなってしまっていたが、暖かくなってきたのもありスムーズに再開できた。

川沿いを走ったり歩いたりしている。時間は相変わらず10分程度、隔日くらいの頻度で2.5kmを最低ノルマとして走ろうかなと思っている。相変わらずPower Beats Proは大活躍。

地味に夜景が綺麗で、みんな働いてんだなって気持ちと、遠出できないとなると身近なものが解像度高く見えるようになるんだなって気持ちの両方ある。

クラウドファンディングとか見てる

とにかくお金を使う場所がない。自分は資産とか貯蓄とかにあまり価値を感じない。「明日死んだらこのお金使わないで終わりじゃん!」というのが根底にあって生きてる。だからお金を使えないというのはそれだけで落ち着かない。

飲み会に行けば他愛のない話に数千円ぶっ飛ばせるのに、今じゃ食べ物や飲み物でどんだけ散財しても飲み会1回に届かない。外出しないということがどれほど消費を抑えるのかを体感している。出前館1回利用とか所詮椿屋珈琲店ケーキセット1つと同程度の出費しかない。

そんなときに自分の消費意欲というか、物欲を刺激してくれるのがクラウドファンディングとかだ。具体的には Kickstarter を見ている。

www.kickstarter.com

今日はあーいいなーこの枕...とか思いながら見てた。

www.kickstarter.com

そもそも店舗が開いていないので、とにかく衝動買いがしづらい現状。実際に買うかどうかは別にして、「頼むからバックしてくれYo!」と言われるのは「仕方ないなぁ」とボタンを押したくなるというものだ。とはいえ、結局1回も買ってない。さすがにどれもお気軽に買える値段ではないので。

矛盾しているけれど、まぁ矛盾していない人生なんて存在しないし(?)。

この間別のサイトで買ったサイフが届いたけど、これには満足している。けどこれは別にコロナ禍の元で買ったわけではなかった。

変わってないこと

生活習慣

結局リモートワークになる前から生活習慣は狂っていたので、そのまま変わっていない。昼前くらいに起きるし、3時とか4時とかまで寝付けないこととか普通にある。もうそういうものかと諦めている。

状況が状況なので、今は客先との打ち合わせとかはないのが幸いしている。とはいえ社内打ち合わせとかでもねぼすけさんするわけにはいかないので、できればもうちょっと早く寝たい。日付変わってこんな文章書いている時点で本気かよって感じだが。

不調感

暮らしは丁寧になったけど、正確には丁寧にしようと努力しているけど、前記事に書いたような不調感からはあまり抜けていない。

blog.515hikaru.net

結局俺は何をしているんだ、何もしていないんじゃないか、という感覚が拭えない。たぶん実際何もしていない。

とはいえ暮らしと仕事というか、なんでもない生活と自己実現は表裏一体というか、他方により他方が支えられる側面もあるのではないかと思わなくはない。それはたとえば心の健康は身体の健康、身体の健康は心の健康、みたいな話と一緒で、他方を充実させれば少しは他方も充実するのじゃないかと思うので、自炊とかジョギングとか暮らしをそれっぽくする営みをやめてまでなにかエッジの効いたものに踏み込む、みたいなことをするつもりはない。

今は何もできていないけれど、いつか身体が追いついてきてくれるんじゃないかなと信じることくらいしかできないな。

終わりに

料理をすると世界観が広がる感じがある。あと自分は直列処理しかできない、ということがよくわかったのでたぶん料理は向いていない。

とはいえ、僕の場合は料理だったけど、何か新しいことを始めようと思える程度にはやっとポジティブになったということだ。正直自分は在宅勤務をするともっと病むと思ったけど、病むフェーズは終えてこの現状の中で小さな歓びとか、創作する楽しみみたいなものを見出そうとしている感じがある。これを乗り越えられれば、もっとリモート人材(というと変だけど)になる素地が高まるんじゃないかという気がしている。

この暮らしはこの暮らしでわりとありなんじゃないかと、思い始めているところではある。

いつもどおりの1日

日曜日、という意味がよく思い出せない。

なにせ常に家にいる。不要不急の外出を避けると、スーパーかコンビニか、外食くらいしか行くところがない。さすがに食料に関することであれば不要不急ではないだろう。生存、及び健康的な生活に必要な重要な要素である。とはいえ、それらは平日も行っているわけで、そして平日もやはりずっと家にいるわけで、休日だからとか平日だからとかの境界線がまるでない。強いて言うなら、開いているラップトップが個人のものか会社支給のものかくらいの違いしかない。

当たり前のように行っていた居酒屋も休業してしまったり、そもそも行こうと誘えるような感じでもない。ほんの少し前まであった日常が、いつのまにか当たり前のように非日常になっている。足のように使う公共交通機関は感染拡大の温床とされるし、普段いるはずだったオフィス街は危険な場所になっている。理由がなければ出社するのが常識だったのに、理由がないのに出社すると危険だと言われる。人間の常識や習慣なんて、案外もろく儚いものだ。

今の所、僕の命に危険はない。ウイルスもさることながら、日常的な通院も必要ないので医療現場に関わることはないし、物流が崩壊しているわけでもないのでスーパーで今日の惣菜を買うことは簡単にできる。電気ガス水道も金さえ払っていれば利用できるし、業務にも大きな支障はない。いつもどおり誰かに支えられて僕は生きている。そんなことを思う。

いつもどおり、そういつもどおりなのにどこかおかしい。

僕は微妙な差異が苦手だ。全く違うのなら適応できるのだけれど、似ていて少し違うと適応できなくなる。Windows10 と macOS くらい違うと苦もなく受け入れるんだけど、GNU sed と BSD sed の違いは気が散る。いや、全く伝わらなそうな例えをしてしまった。だけどこの日常の差はまさしく「似ていて、少し違う」ものだ。普通に週5勤務だし、土日休み。だけどその内実はいろいろなものが場所とかで区別されていたものが、物理的な制約をひどく強く受けることになって、区別できなくなっている。

生活が一変などしていない。やっていることは何も変わらない。強いて言うなら空間の制約が変わっただけだ。それだけのはずなのに、どうしてこうも気が散るんだろう。

まだまだ、自分が生きていくことしか考えられない。数ヶ月前に考えていた崇高なものは、いつのまにか忘却した。わかっている、それだけのことが起こっているのだ。平静で居られないほどの事態が起こっているのだ。僕だけじゃない。全てが狂わされている。まだまだこの狂乱の宴は続く。

桜が葉桜に変わっていく。時はいつもどおり流れている。

今の自分がどんな気持ちで生きていようと、初夏を感じさせる5月はやってくるし、梅雨はやってくるし、嫌気が差す夏もやってくる。そう、いつもどおりだ。いつもどおり。

変わりゆく社会で、変わらないものを拠り所に、変化を受容していきたい。そうやって、いつもどおりに、生きていきたい。

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岐路に立って

環境の変化

年度末ですね。そう、とりあえず今期の仕事も終えて、4月から新年度ですが、あんまりそんな空気でもありません。

3月の始めから原則リモートワークをしていて、はや一ヶ月経ちました。正直自分がリモートワークをすることなんて結婚して子供ができるとか、親が倒れるとかしない限りはないだろうと思っていたのですが、全然違う不可抗力によりリモートワークをせざるをえなくなりました。

別に自分はしないだろう、と思いながらフルリモートで働き始めた人のブログとかをちらほら読んでいたり、特にあてもなく情報収集していたのは、小さなアドバンテージだったかもしれません。あとたまたま昨年末くらいから副業(フルリモート)を始めており、一応腰を痛めない程度の家具*1は準備してありました。いろいろと幸運が重なっています。

www.low-ya.com

めまぐるしい内心の変化

毎日、自分の価値観が変わっていくことを実感しています。今まで興味をもって買った本がことごとく不要なものに思えるようになりました。数ヶ月前、自分なりに考えて行動していたつもりでしたが、もはや何を考えていたのかもよく思い出せません。今思うと矮小なことに思えます。

今の自分ができることは、残念ながら家にいてゲームをすることくらいなものです。コンビニに行くくらいはしていますが。そんな中でも日々見ている情報、会社の人とのビデオ会議前後の雑談などで自分の中の価値観の移り変わりを感じます。きっと、まだまだ変わるのでしょう。

こうした変化を受け入れて咀嚼していかなきゃいけないなと、思っています。

退職・転職

一身上の都合で退職することになりました。詳しいことは書きません。書こうかと考えたのですが、特に書く意義が見出せませんでした。

次のところは5月入社予定です。

もう遠い昔に考えていたことのように感じられますが、機械学習から離れ、Webエンジニアとしてより技術を磨いていきたいと思うようになりました。なのでそういう仕事をします。残念ながら(?)まだ Python との縁は切れそうにありませんが、さすがにしょうがないでしょう。

とはいえ、自分がこの情勢で転職という道を選んだのは浅慮であったという気もしています。正直なところ決断した時点では「春が来れば収まるだろう」くらいに思っており、その予測は思いっきり外れたわけです。なので不安ではあります。とはいえ仮に現職に残ったとしても不安要素は尽きません。この問題はどこに居たって人を不安にさせるものです。決断した以上、やるしかないと思っています。

おわりに

岐路に立ち、道を選びました。実際に歩くのはもう少し先ですが。

この岐路以外にも、色んなものが内から、外からと出てきて心の整理をするだけで大変な時期です。桜も咲いて気が滅入るし、気温差は激しいし、安寧はなかなかありません。相変わらずこの道が正しいんだか間違っているんだかもよくわかりません。

ですが、いつもどおり正しかったと示すために歩き続けるしかない。決断とはそういうものです。

*1:具体的には座椅子。

Fate/stay night をやっている

やっている。

www.fate-sn.jp

自分の身を守るために、家にこもっている。活字中毒者には面白くてひたすら長い文章がそこにあれば1日家にいることなんて簡単だ。良くも悪くも、プログラミングを何時間もやるよりは簡単である。

いわゆるセイバールート、凛ルートをクリアした。ひたすら頭を使わないで読んでいるだけだ。それでも猛烈に時間がかかる。ただ自動早送りにしているだけでもめちゃくちゃ時間がかかるだろう。

深夜までやっていたら肌に悪いが、やめられない。いつでもやめられるはずなのだが、やめるタイミングが全然つかめない。全然終わらないからだ。キリがいいところ、というのがなかなかない。なるほど名作として語り継がれ、アニメにされるわけである。

なんか謎のコレクション欲が湧いてきて、PC版も買ってしまった。同じ話だが、差分があるんで覚悟ができた上でプレイしようか。

などと考えている。

Qiita退会した

何があったのかは誰かがまとめているだろうから僕がもう一度書くことはない。知らなかったら、2020年3月25日から26日にかけてQiitaに何があったのか自分で調べて欲しい。

とても残念だが、退会せざるを得ないと思った。少なくとも僕は技術記事が集まるプラットフォーム、あるいはSNS、あるいはコミュニティとしてのQiitaには魅力を感じていた。だからとても残念だ。

自分のプライバシーは自分で守るべきものであり、自分の価値判断でYesやNoを突きつけるものだと思っている。僕にとって、今回のQiitaの施策は100% Noだった。ただ同時に、僕にとってNoとなるその判断をしたのはQiitaであった、ということがどうしようもなく残念でならない。1日我慢すればたぶんその機能が一時的にオフにはなるだろうとも思ったけど、僕にはこのプラットフォームにとどまる理由はもうないと思った。

残念だ。本当に。

正直に言って、自分は東京都民であり今目下の話題はCOVID-19に関してのものだ。だから、ぶっちゃけ自分の命にも、ソフトウェアエンジニアとしての生活にもほとんどプラスの影響のない1つのWebサービスを退会することになんの躊躇もなかった。当然だろう。こんなことに煩わされている時間があまりにもったいない。

でもこうして記事を書いているのは、少しだけ、残念だと思う気持ちがあるからだ。正直なことを言うと、僕はQiitaには思い入れはない。ただ自分がプログラミング初心者であったときに、真っ先に覚えた技術情報共有サイトはQiitaだった。今となってはこそ、あまり頻繁に記事を探すことはしなくなったが、いろんな人が残したメモをヒントにして様々な学びを得た。思い出とまでは言わないが、自分がプロのプログラマになるためになくてはならないサイトだったと思っている。

なのに、こんな形で自分が引導を渡さなければならないことになったのは、本当に残念でならない。別に愛しても恋しても居なかったが、僕は理由がない限りQiitaに味方をするつもりだった。

裏切られた、という言い分は随分勝手かもしれない。だけど、僕にはQiitaに味方をしない理由ができてしまった。

こんなことを書くほどには、僕はQiitaのことが好きだ。少なくとも期待していたし魅力を感じていた。でももう、これ以上関わることはない。




事務連絡だが、わたしは一応技術ブログを持っている。

tech.515hikaru.net

以後、技術記事はこちらにのみ書こうと思う。一応、Qiitaに投稿した記事はバックアップをとった*1ので、こちらに順次掲載していくつもりだ。転載が完了した。一応全文読める。

ただ、わたし自身、最近技術記事を書くこと自体に違和感を覚えている。

medium.com

だからこれ以上追加でアウトプットしたい、と思うこともあまりないだろう。更新はひどく低頻度になると思う。




残念だ。残念だが、それ以外に言いたいこともない。それ以外のことを言うほど、僕もお人好しではない。

*1:たった10記事である。思いの外活動していなかった。

絶不調

絶不調だ。なにが、全てが。なにもかもについて頭が鈍っている。手も動かない。意欲が失われている。冷静さを欠いている。注意力散漫だ。とにかく何も頭が働かない。

何が良くないのかよくわからない。突然にこうなってしまった。この1週間くらいで腑抜けになった。ここまでのこの短文を書くのに30分を要している。

仕事にもよく取り組めていないし、OSS活動みたいな自己研鑽もからっきし。酒を飲んで、なんかゲームして。

もしかしてだけど、むしろ今までが気を張っていたのかもしれない。本を読んだり、ニュース読んだり、いろいろ意識高いことをしていた。それが限界がきて、疲れちゃったのかもしれない。だからこの不調は必然で、いつか回復する、かもしれないね。

とにかく調子が悪い。いつも眠いし、いつも疲れているし、いつも目の焦点があっていない感じがする。特に昨日なんか酔っ払って怪文書書いて疲れた。

寝て起きたら仕事だし、後少し気合というか、ちゃんとしなきゃいけないんだけど、どうしようもなく遠い先のことを考える気になれなくて。そっか、考えることはいっぱいあるんだよね。なんにも考えていないんだけど。

オリンピックが延期になるような情勢だけど、僕はなんかその危機感も何もなくて、ただただ自分が堕落というか、平常運転もできていないという感覚だけがある。

いつかの、恋の話。

この記事は Medium に投稿した内容の再掲です。本当は canonical_url が指定できないからはてなブログに投稿してから Medium に転載するべきだったんだけど、そんなことを考える余裕もなく投稿してしまった。余裕がないのはよくない。

初出はこちら。

medium.com

あくまで記録用にこのブログに投稿するだけです。

以下、本文




具体的なことは書かない。昔、ある人を好きになった。自分は浮かれていた。よく覚えている。散々浮かれていた。

だけど告白したときに、思いもよらぬ返事がきた:「わたし、結婚してるの」

そこから、僕の迷走が始まった。




結婚している人を好きになった、まぁそれだけの話である。念の為先に書いておくと、別にやましいことは何もない。強いて言うなら1度くらい手を繋いだくらいのかわいいものだ。それくらいは大目に見て欲しい。

僕は彼女に囚われていた。結婚指輪もつけていなかったし、彼女は「あなたを好いている」と伝えた僕にさえも平然と接していた。内心がどうであったかは僕は知る由もない。 最初のほうこそ混乱した僕も、いつしか彼女とさらに頻繁に話すようになっていた。大学へ向かうまでの乗り換え駅、そこにあるスターバックス。暗黙の了解、だいたいこの時間帯にこの席に彼女は居た。僕はそこに"通って"いた。

なんでそんなことをしたのか、自分でもよくわからない。終わった今となればどう考えたって自分は近づくべきではなかった。だけど、告白する前よりもさらに僕は彼女に溺れていった。 その日々は楽しかった。心の底からそう思う。僕は平日の朝が楽しみでならなかった。彼女と話せるからだ。彼女とはなんでもない話をたくさんした。おいしいお菓子をもらった。おいしいコーヒーを飲んだ。たまに休日にふたりで出かけた。

でもそれだけだ。どこまで行っても、それだけだった。僕にできることは、それでいいのだと諦めるか、その幸せを手放すかの二択だった。




ある日、水族館に行った帰りに、僕は思った。「このままではいけない」と。悩んで、悩んで、でもどうしても問題を先送りにするかここで断ち切るかしかなくて。

僕は、問題を先送りにするのをやめ、彼女とのこの関係をやめることにした。それを決意したとき、僕は初めてウイスキーを飲んだ。バーという場所にいって初めて行って、飲み方はと聞かれて「アイスロックで」とかっこつけて言ったのを覚えている。アイスロックなんて言葉はないって気づくのはそこからしばらくあとのことになる。

いつだったか。僕は彼女にもう一度『好きです」と言った。何度言おうと彼女の返事はNoだった。知っていた。知っていたけど、寂しかった。




別れの日がやってきた。

彼女に「たぶん、もう来ないです」と言った。いつもの喫茶店、いつもの席。

僕だけが独りで店を出た。彼女にとっては、なんてことのないことだったのかもしれない。だけど僕は店を出た瞬間、涙が止まらなくなった。

僕は大学にいけなくなった。遊びにも出られなくなった。彼女と歩いた道を、彼女と行った場所を、何をしていても思い出してしまう。講義を受けていてもひとりでに涙が溢れる男に、居場所なんてなかった。

リストラされたサラリーマンのように、平日の真昼間に居るべき場所でない場所に、場に似合わない荷物だけもって僕は毎日外出していた。毎日泣いていた。地獄だった。誰も泣いている僕になんて気づかないことだけが救いだった。

でもその時はまだ、それが終われば、自分が泣き止めば、また以前のような自分が帰ってくるのだと信じていた。数学に熱中する自分とか、ただリア充に嫉妬できる自分とか、恋を知らない自分に戻れると思っていた。だから、僕は僕を殺そうとした。僕を殺すために僕は泣き続けた。

あれから何年も経つ。僕の日常は戻らなかった。この表現は決して"正しく"ないと思うけれど、敢えて書く。僕は、自分が人生で初めて、心の底から欲しいと願ったものを手に入れられなかった。その瞬間、全てがどうでもよくなってしまったのだ。僕はあのとき熱中していた数学をやめた。数学より大事なものを知ってしまったからだ。僕は大学院を休学するときに長い文章を書いた。だけどそれは嘘だ。僕が数学をやめることなんて、もっと前から決まっていたのだ。

blog.515hikaru.net




いまこれを書きながらも、僕は泣いている。いつもそうだ、涙なしで思い出すことができない。身体が震え、心臓がバクバクいって、思い出すなと身体が訴えてくる。思い出すのをやめれば、この文章を書くのをやめれば僕は楽になれる。いつもそうして、楽な方へ逃げてきた。だからこんなことを書くのに何年もかかった。

こんなことなんて経験したくなかった。僕はただ、普通に生きたいだけだった。もう5年以上経つ。時間が解決してくれるって安易に人は言うが、時間が解決できないことだって少しはあるのだと知った。僕はいまだにあのときの出来事に囚われている。

どうしようもなく、僕は恋をしていた。それが叶わなかっただけ、よくある話。ただ無為にひとつの出来事を引きずって、何もできない自分を正当化しているだけ。 何度そう結論づけても、僕の心は晴れなかった。




ひょうひょうとした受け答えしていた彼女、読書が好きだというけど一貫性はなかった彼女、車の運転がとても荒かった彼女、古典が好きという彼女に合わせてアンナ・カレーニナを読んでみたら「あんな長いのよく読めるね」と言われたこと、興味ないけど村上春樹の話をされたので短編を読んでみたこと、いろんなことを思い出せる。 何度だって言おう。僕は彼女が好きだった。何年も前の話だけど、僕は彼女のことしか考えられなかった。

でも僕は変わらなければいけなかった。彼女を好きで居てはいけなかった。だって、その恋は叶うものではないから、その先にあるものは絶望とか地獄とか、そういう名のつくものだから。だから僕は自分を殺した。自分を変えなくてはならなかった。

でも何年経っても、僕は変わらなかった。どれだけ泣いても、どれだけ時間が経っても、僕は変わらなかった。それが、今の僕だ。




幸せになりたい。僕はいまそう思っている。だけど同時に、幸せになんてなれないとも思っている。

だって。

いや、これ以上醜い自分を表すのはやめておこう。

何が言いたかったんだろう、何が書きたかったんだろう、もうわからない。手が震えている、身体が震えている。

この文章を書いたのは、少しでも楽になりたかった。自分の中にしかないものを、どれだけ汚い汚泥でも吐き出して、楽になりたかった。ただ、それだけ。

ただ、それだけ。