Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

幸福の相対評価

わかりあうこと

色んな人間がいる. わかりあえること, わかりあえないことがある. 何から何までわかりあうことなんて出来やしない, だから, 歩み寄っていかなければならない.

という綺麗事を書くのは容易いけど, 現実にはひどく難しい. 僕も他人を受け入れているようで, ただ拒絶しているだけなのではないかと思うことがよくある.

そして僕にとってもっとも理解し得ないものが, この相対評価である.

幸福の測り方

夏に, 幸福の絶対量がもしも測れたらという夢想をしていた. つまり絶対的な指標でもって幸福を定義できるかどうか, ということを考えていた. もちろん, 無理だと思う.

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だが, おそらく人間には自分がいま幸せであると確信したい, 確かめたいという欲求があるのだと思う. なので自分の幸福度を何らかの方法で確かめようとする. それは時に「他人との相対評価」として計算がなされる.

あの人より自分の方が年収が高い, 自分のほうがあの人より旅行に行っている, 自分の方が友達が多い. 自分の方が美味しい, あるいは美味しく見える料理を*1食べている.

そうやって, 他者の人生の一部と自分の人生の一部を比較して, 幸福を測る人がいる.

比較に負けて, 嫉妬だけする人

別にこれ自体が完全に間違っていると主張するつもりはない. だが, 比較対象について自分が負けて居た時, それが「自分が不幸である」ことを意味し, そのネガティブな感情が嫉妬などの形に変わるとき. その瞬間の人間の醜さが, どうにも見ていられない.

もしも, ポジティブに居られるなら, 例えばお金が足りないなら転職を考えるとか, 恋人が欲しいならアクションをするという形で自分の行動を変えられるなら, 僕には文句はない. ただ, 嫉妬の感情だけを保持して何もしない人がいる.

特権ではなくなったとき人

さらに, この評価方法だと, 自分が何かを失ったわけでもないのに「不幸せになった」と感じることがある.

例えば, ある組織に入る時に, Aさん, Bさん, Cさんだけに与えられているものがあったとしよう. ベンチャー企業だとストックオプションに相当するものかもしれない. そして組織は大きくなるが, Dさん以降に入った人にはそれは与えられなかった.

しかしのちに, 現状の不平等を是正しようとDさん以降の人にもそれを与えることとなった. このとき, Aさんたちは何も損をしていない. しかし, なんとなく彼らの中には「損をした」と感じる人もいるだろう.

自分と他人を比較して, ある点では決定的に優位だった. その優位性が残念ながら崩れ去った時, 他者と比較をすればするほど, 不幸せになるものだ.

僕の幸福の指標

僕はステータスなど気にしたことがない. 何の資格もない. TOEIC さえ受けていない.

海外旅行に行ったことはない, 年収には不満がある. 友達なんていない, インスタ映えする料理よりいつもの定食屋で食べる唐揚げのほうがいい.

しかし, それを恥だと思ったことも, それで自分の人生が他者よりも不幸だと思ったことがない. それで, いいじゃないか.

何を競うことがある, 自分の人生だろう.

他人と年収を比較して足りないと思うなら転職でもなんでもすればいい. 時間がなくて海外旅行にいけないと嘆く暇があれば時間を作る努力でもすればいい. うまい飯, 見た目がいい飯なんていくらでもあるし, それこそインスタグラムをあさって探せばいい.

自分にとって, 自分が幸福だと思える尺度に沿って僕は行動している. 僕は自分が幸福であることに自信を持っている. そして, 僕はもっと僕を幸せにしたいし, そうできる自信がある.

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お互い分かり合えないことから

こんな風だから, 僕は自分と他者を比較して, 自分の幸福を相対的に測っている人の気持ちがわからない. そして, どうも分かり合えない気がしている.

別に分かり合える必要もない. こういうのは個人の価値観で, 自由に決めていくべきことだ. そして, 僕もこれを理由に人を嫌ったり, 差別したりすることもない.

それをお互いに保証できれば, 世界はもっと平和になるのにな, と思う.

*1:インスタ映えが流行語大賞になったように.