Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

めちゃイケが終わるらしい

めちゃイケが終わるらしい。

どこで見たのかももう覚えていないが、ネットでめちゃイケが終わる読んだ。テレビ番組が終わることをネットニュースで知るあたり、まだまだテレビの影響とは大きいのだろうかと思う。

以前、めちゃイケについては記事にしたことがある。

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この放送以来、おそらく一度も見ていない。少なくとも僕の中では一年前の夏の時点でめちゃイケは過去のものだったし、僕がかの記事で褒めそやしたのは「今のめちゃイケ」ではなく「過去のめちゃイケ」、さらに言えば「10年前のめちゃイケ」だった。

あの回が心に響いた人間としても、僕はあんなやり方が今後も続いていくとは思わなかった。

時の流れは残酷なもので、10年前は笑い事だったものが今では笑ってはいけないことになっていたりする。30年前には是とされていたことが、今となっては非となっていたりする。

時代に合わせて変われていくもの、それもよい方向へと変わっていくものだけが生き残っていくのだろうか。

変わりゆくこと

人は変わる。

人はかんたんには変わらないとも言うが、それはミクロな視点だ。マクロには人は変わる。かなりたやすく。

この10年でスマートフォンはかなり浸透したし*1、情報の窓口が劇的に増えた。今や24時間365日、いつでもGoogleに、Twitterに、Facebookに、Slackに、LINEにアクセスできる。

人々が笑えること、笑えないことが変わった。それはひとりひとりはあまり変わっていないにせよ、少しずつ価値観が変わっているということでもある。

このブログで何度も書いているように、僕は変わり続けたい。価値観を変え続けたいと思っている。「成長」などというと仕事や勉学での意味合いを持ってしまうが、視野を広げ続けること、自分がこれまで見てきたことを総合して評価し続けることも、成長の一種だろう。

映画を見ることも、小説を読むことも、僕にとっては自分を変えるための手段のひとつに過ぎない。

変わらないものなんて、そこかしこにある。僕までも変わらない理由なんてないだろう。

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変わらないテレビ、変わるテレビ

めちゃイケもきっと変わりたかったのだろうが、うまく変われなかったのだろう。なぜ変われなかったのか、そんなことは僕にはわからないし、当事者もわからないから打ち切りになったんだろう。

家にテレビがないので変なことを言うのはやめるけど、きっと色々と大変なんだろうな。演者も、制作も。

一方で、嫌いなので名前は出さないけどあのテレビ局は調子がいいし、嫌いだけどちゃんと適応できている気がする。嫌いだけど。

フジテレビではもう全力脱力タイムス以外のテレビ番組を知らない僕だが、これからも頑張って欲しい。

うまく、変わってほしい。やりたいことをやる前に、お金がないと何もできないのだから。

*1:私の両親が持っていないが。。。