Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

女性向けコンテンツを男性が楽しむことについて思うこと

この文章は、三ヶ月ほど前に書いたものを編集、加筆、修正したものです。

混乱のないように最初に書いておこう。筆者は男性である。身体的にも、精神的にも。

女性向けとか女性を意識したコンテンツというのは確実に存在している。漫画だと少女漫画とかレディコミとか呼ばれているもの。映画だとポスターとか見るとそういうものか否かって割と分かる。もちろん男性向けのコンテンツも存在するわけなのだけれど、男性向けのコンテンツを女性が楽しむことについてとやかく言う人はおそらくいない。女性がONE PIECEを読んでいるとか、BREACHを読んでいましたとか言っても少年漫画を女が読むんじゃないと怒るような人は多分いないだろう。女性が「かわいい女の子が好きだ」と言ってラブライブ!などを見ていてもこれまたとやかく言う人はいないだろう*1

しかし男性が少女漫画などに代表される女性向けコンテンツを見ること、レビューすることに関して私には抵抗がある。私は自分が少女漫画を買うのは少し恥ずかしいと思うし(多少なり慣れはしたが)、女性向けに作られた映画や漫画のレビューなどはできないと感じる。どのようなものを指しているかと言うと、例えば「薬指の標本」のような男性に囚われる女性を描いた作品であったり、「昼顔」*2のような風俗で働くと言う性的な経験を通じて自らを解放せしめる話であったり、若い男の子に恋をする三十路過ぎの恋愛ほぼ未経験女を描いた「きょうは会社休みます。」だったり、どうしようもない恋ばかりを描いた村山由佳の『アダルトエデュケーション』だったりする。こうした作品は私は好むし、女性の性に関する考え方などが垣間見えて私は面白いと思う。

しかし、例えば少女漫画を読んでいることを公言する勇気はあまりないし、上の文章を「女性の性に興味津々」とか受け取られると自分が変態だということを表明しているだけなってしまう。下心がないとは言えないが、かといって下心だけで鑑賞しているわけではないのだ。しかし他人に分かってもらえるとは思えなくて公言しないでいる。

さらに言えば、私はこうした作品をレビューするのも少しおこがましいと考えている。自分は男性なのだから、女性の内面を(物語の中であっても)想像するまではともかくとして、言語化し例えばネット上や知り合いに話すことをしてもいいのか、とさえ考えてしまう。さすがにこれは私の考え過ぎかもしれない。しかし私が女性の内面の心情を叙述することはすごく失礼なように感じられるのだ。もちろん、男性が女性を描いた例は腐るほどある。「ある天文学者の恋文」は女性の心理が作品で描写されているが、脚本・監督はトルナトーレ氏(男性)である。他にも、男性の小説家が女性の一人称視点による小説を書くことも少なくない。だから男性による女性の心情の言語化およびその発信について特に社会的な規制も倫理的な規制もない*3。だから当然レビューしたって良いはずだし、その際に「このキャラクターはこういう心情だったのだろう」とか書いても良いはずなのだが、私にはできないのだ。実際過去に何度かそのようなことは書いたことがあるが、迷った挙句に公開せずに消した。

こういう見方が女性を “同じ人間だと見ていない” ことからある種の差別なのではないかと思いはするのだが、やめたくてもやめられない。自分でも厄介だと思っている。

*1:昔は女子がサッカーをしていると先生に怒られたなどと母親から聞いたことがある。今はそこまでのことは言われないんじゃないかと思うが、僕が世間知らずなだけかもしれない。

*2:上戸彩、斎藤工主演の連続ドラマではない。フランス映画である。

*3:流石に女性の性を描いた作品を男性が製作したのを私は聞いたことがないが。