Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

とりとめもない話

なんとなく何かを書きたいが、何も書くことがない。そんな日。

たとえば10月を振り返るには下旬にさしかかっているので微妙な時期だし、特に読み終えた本もない。モナドについての疑問はあるけどまだ解決していない(そして解決する見込みはない)し、数学なんて1秒もしていない。今日やったことは本を買って昼寝をして小説を200ページくらい読み新書のまえがきを読んだくらい。

買った本を読む前から紹介するのは無責任な気がするし、まだ読んでる途中ですが面白いですと書いても僕は面白くないし、やれやれという気分で居る。

そういえば今日は久しぶりに昼寝をしたのだが、昼寝をした理由に先ほど思い至った。「あるメール」の返信が来たからじゃないだろうか*1。そのメールが来たのは昨日のことだ。だけど僕は一昨日までの間、昼寝をしたいとも昼寝するほど昼間に眠気が来ることもなかった。そのメールは僕にとって非常に重要なもので、来た時本当に安心した。だから安心して昼寝ができるほどに精神が安定したのではないか、と思った。

SNSでのリプライなどもかなりストレスに感じることがある。「それを俺に言うなよ」と思えるようないわゆるクソリプなどはその典型だ。人との不確実なコミュニケーションほどストレスはないと僕は感じる。それはEメールだろうがLINEだろうがTwitterだろうがFacebookだろうが誰かがが僕に対してメッセージを発信し、それを受信し、場合によっては僕が返信をすることにより生じる僕へのストレスは、その他の要因よりも大きいと感じられる、という意味だ。

このブログにもはてなブックマークを通してコメントでいくつか意見が寄せられた。はてなブックマークのコメントに目を通す筋合いはないのだが、怖いもの見たさで見てみると「俺そんなこと一言も言ってないんだけどな〜」と感じるコメントが散見される。ストレスに思うほど深く受け止めていないが*2、それでも一切コメントがないほうが僕にとってはありがたいくらいである。この記事は多分そんなに読まれないだろうからもしもう一度「はてな」のトップページに記事が掲載されるようなことがあれば、またコメントがつくのだろうが。

僕はひとりが好きである。正確に言うと、ひとりで居る時間が一番疲れない。今の生活はとても理に適っていると感じる。朝起きた瞬間、買い物へ行こうが大学へ行こうが基本的にはひとりだ。カフェで読書をする、松屋で定食を食べる、本屋で雑誌を延々と立ち読みする、家でコードを写経しつつ技術書を読む、などなど最近の僕はひとりで行動していることが多い。いや、以前からそうだったのだが、最近は孤独をポジティブに感じる。

思えば僕は、今まで他者と交流しなければならないと妙に思い込んでいた節があるように思う。しかし気の合わない人間との会話はストレスの元となる上に時間の無駄だ。誰かと会話をして得られる知見が存在することは否定しないし重要なことだが、今の僕は自分の脳内から湧いて出る言葉や、本を読んで気になったキーワードをノートにメモし、あとで調べているほうがずっと学びが多い。

僕もみんなといっしょがいいと思うことがあるし、複数人のほうがが楽しいと感じることもあるだろう。でもいまの僕に絆は不要だ。ひとりは決して寂しいものでもないし、他者の存在が妨害になることなんていくらでもある。いまは自分を邪魔する人間がひとりも居なくて本当に幸福だ。

孤独の価値 (幻冬舎新書)

孤独の価値 (幻冬舎新書)

  • 作者:森 博嗣
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2014/11/27
  • メディア: 新書

*1:あるメールがいかなるものかについては近日中に話せると思う。

*2:真面目に読者に寄り添うのはプロの仕事だ。僕はものかきとしてプロになる気は一ミリもない。