Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

昔話に花も咲かないこんな世の中じゃ

昨日は昔なじみと話していた. ここ数年は会っていなかった人たちと話したのでまた地元の昔懐かしい名前がたくさん出てきた. 正直思い出そうとしてもあまり思い出せることはないのだが.

あまり過去のあの記事みたいにモヤモヤはしなかったけれど, でもやっぱり僕はここに根付く人間ではないだろうと思った次第である.

hikaru515.hatenablog.com

そんななかで思ったことをつらつらと.

就活

過去の話と女の話と進路の話くらいしかすることはない, っていうのはなんとなくみんな分かっているのでこのどれかの話をするわけである. 僕に恋人は長いこといないので最近は聞く専門になるしかない. 過去のことはあまり覚えていないので, 僕が参加できるのは進路の話くらいになる.

就(職)活(動)という言葉が根付いて久しいけれど, その実体は正直よくわからない. よく分かっている人は就活を現在進行系でやっている人とか, 現在人事担当の人とか, 就活生をリードする仕事をしている人とかだろう.

よく自分のやりたいことがわからないとかいう声が聞こえる. 昔は「そんなわけねーだろwww」くらいの気持ちでいたけど, 今はもう笑えない. 俺もそうなるかもしれないくらいのことを思う. でもどうして自分のやりたいことがわからなくなるんだろう. 要するに自分がどういうフィールドで生活をしていきたいか, なのではないかとも同時に思っている.

要するに(民間企業に就職するわけだから)最後には企業をひとつ選んでそこで働くことになるわけだけれど, それはどの企業に勤めるか以前の問題でどういうことをしている企業で働きたいかをまず決めないといけないわけで*1. それさえも決まっていない人が本当にいることに少し驚きはした. 僕でさえも, B3のときに「就職するとしたらだいたいどんな仕事なら自分でもできるだろうか」と夢想くらいはしたものである.

なんとなく個別の事象ばかりみて全体を見ていない(木を見て森を見ずという状況)って数学でも起こることだけれど, どうしても中に入ってしまうと見えなくなってしまうこと, 中に入らないとわからないこと両方あって, 僕がここに書いたことは実は当然のことで, それでも迷ってしまうのかもしれない.

でもそう考えると, 必要以上に煽りすぎ/煽られすぎという感じもある(自分が考えてきたことを無に帰すほどに煽るという意味). なんというか就活と言うシステム自体がおかしいという気もしている. コレ何度かTwitterで言ったのだが, 就活の歴史を調べて修論とか新書とかにしてくれる人いないだろうか. 俺は買うよ. 日本の採用活動の歴史をすごく知りたいよ.

なんか思ったよりもココまで書くのに時間がかかってしまった. 今日はもう終わり.

*1:これがいわゆる業界研究なのだろうか