Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

昔なじみと食事をした

たまにはこんな話でも.

忘れがちなのだが私は大学の学部 4 年生で, そろそろ大学を卒業するとかそういう時期である. 忘れがちなのはひとえに私が進学をするからであって多くの人にとっては卒業はひとつの人生の節目になる. であるからして, すっかり忘れていた私だけれど, 中学時代からの友人から先日久々に会おうと食事に誘われたのであった.

食事に行く前に何よりもまず, 私にも友人が居たのかって自分で思った. 大学生活も含めて, 私の友人といえる人って彼ともう一人くらいではないかと思う.

地元志向

こんな話を聞いた.

○○中学校出身で, ××大学に行った人は全員教員採用試験に合格したらしい.

○○には私の出身中学校, ××には友人の所属している大学が入る.

喜ばしいことである. そこで実名のあがった中学の同級生の多くは私でも顔と名前くらいは思い出せる人がほとんどだった. しかし同時に, なんとなく私はもうこの土地の人間ではないような, この人たちとはきっと違う世界に行くしかないんだろうなと, 別れの予感めいたものを感じてしまった.

まず私は自分の出身中学校の名前を思い出すのに 5 秒はかかった*1. そして, 私にはきっと彼らが見ている世界って狭い世界であるように思われた. どうも私が住んでいる地域は地元志向が高い気がしている. ほかの土地に行ったことがないので比較のしようがないのだけれど, しかしそれは確信に近い.

私だってたしかにこの町で育ったし, この土地で生きてきた自覚はあるけれど, この土地に居心地の良さはまるで感じなかった. 全体的にこの土地は, この土地の住人が見ている世界は窮屈で狭いのだ. 私には当たり前の世界が, 中学校の時とは全く異なる見えている世界が, 彼らには見えてないし, そして見えなくていいのだろう. 変わらないものをきっと求めているのだ.

大学時代どう過ごすのかなど, 人の勝手だ.

私は大学という場を通じ, 広い世界を見た.
彼は大学という場を通じ, 世界は狭いものと完結させたように私には見えた.

どちらが正しいのでもない, 価値観を変えたか変えなかったか, 変わることを求めたか求めなかったかだけの話だ.
しかし, 私はもう中学の時みたいに彼らとは話せないと思って悲しくなった. 食事自体はとても楽しかったし, 中学生の時みたいにどうでもいい会話をした. でもきっとそれは条件反射のようなもので, そういう昔の空気が昔の自分を連れてきているだけなんだろう. それは演技のようなものだ, 昔のまま変わっていない自分であるふりをしているだけだった.

彼らとは引っ越しをしたときと結婚をしたときは連絡をくれと言って別れた.

また会いたい, また変わらないものを見つめたくなった時に.

*1:この時点で彼らとはもう遠いような気がした